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久しぶりに津軽鉄道に行きました
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津軽に桜の季節がやってきました
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津軽鉄道
一年以上、ビッグコミック増刊号で連載された「ちゃぺ・津軽鉄道四季物語」が完結して、11月29日に単行本が刊行されました。
その出版を祝うイベントに参加 約250人近くが五所川原の公民館に集まって、出版記念会という名の大宴会となりました。 写真は、原作者の川上健一氏が勢いあまって熱狂の手踊りを披露するの図。 そして12月1日からは津軽の冬を告げるストーブ列車が走り始めました。日本最北の私鉄、津軽鉄道では今後の課題として、現在無人になった駅舎をどう利用するかみんなで考えています。 宴会当日も「畳敷きにしてコタツを置くべし」「しるこ屋を作れ」「旅人宿がいい」「本州最北のフィリピンパブ!」など意見百出、五所川原の夜は果てしもなく更けていきました。ああ疲れた(笑)。 |
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津軽鉄道に行ってきました
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津軽、5月
怖いですね〜、こちらの面々 昨日3日、津軽鉄道を応援する人たちが集まって、桜の名所芦野公園で「幻の観桜会」が開催されました。 コンセプトは“昭和30年代の花見再現” 参加の掟は、当時のコスプレで来場すること。 おさげあり、学ランあり、国鉄機関士ありと 芦野公園でもそこだけ異様な盛り上がりを見せていました。 でも昭和30年代というより、 `70年代の怪しいアングラ劇団の雰囲気。 ちなみに上から4番目の不良学生は、津軽鉄道の澤田社長です。 さて午後は、花見会場から青森県立美術館に急行 ここではアングラの王様“寺山修司劇場美術館展”が開催中 小生としてはもう「これは行かねば!」であります。 入場するや 「人生はただ一問の質問に すぎぬと書けば二月のかもめ」 という大好きな詩が掲げられ '60〜'70年代、青森県が生んだ寺山修司という傑出したキャラクターに、日本中の才能が集まって社会現象にまでなった、 劇団「天井桟敷」を中心に構成されています。 特に、森山大道、鋤田正義、荒木経惟、ハービー山口などのモノクロ作品が圧倒的で、前半は熱気あふれるフォトセッションになっていました。 そして後半は横尾忠則、林静一、宇野亜喜良などが手がけた「天井桟敷」の、めくるめくようなポスターが大集合、そのデザインセンスや言語感覚は時代を越えて突出していた感があります。 これを見た後、帰りの空港や電車のポスター類がじつに空疎で貧相に見えたことか。おそらく、このジャンルの文化的高度は'70年代中盤にひとつのピークがあったのではなかろうかと思います。 社会はつねに進歩するのだ。 という近代モダニズムに対して、津軽の泥がついた靴で蹴りを食らわせるような、寺山に熱狂したあの頃を思い出しました。 かなり大規模な回顧展で、青森県美術館では5月11日まで開催 さて、寺山修司は昭和58年の今日5月4日 「100年後に答がわかる」と言い残して亡くなりました。 享年、47歳でした。 |
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津軽鉄道に行きました
今年三度目の津軽鉄道です
ここは終点の津軽中里駅構内、いまも転車台が残っていました 昔は、おもにラッセル車の方向転換に使っていたとか。 古めかしい木造の車庫もあって、この構内設備をどう利用しようか 会社もいろいろ考えているようです。 今回は、津軽鉄道名物となった冬の「ストーブ弁当」に 続いて、春は芦野公園の桜にあわせて「津軽鉄道・さくら弁当」の発表を見てきました。 今回のさくら弁当も、地元の創作料理店「神家」が調製したもの。 これはお世辞ぬきにうまいです。ニシンの山海漬けやだし巻き玉子など各パーツの完成度が高く、美味しいオカズ打線に切れ目はありません。地元の黒米を炊きこんだピンクのごはんもさくらの気分。 製作者の愛を感じる弁当は1個1000円。 北国の春は「さくら弁当」とともにやってきそうです。4月10日〜7月中旬まで、3日前までで2個以上の予約制です。 ああ、うまかった。 弁当の後は線路。これは東京メトロ丸ノ内線の第三軌条です。あの線路の脇にある電源用レールで、刻印をみると1955年(昭和30年)とありました。電源レールは通電性を良くするために通常レールとは違う組成の特殊レールで、丸ノ内線開業時に製造されたものが50年後も使われていました。ちなみに、丸ノ内線の普通のレールは1980〜2000年代製がほとんどだそうです。 |