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清永洋さんの写真展
福岡で写真家、清永洋(きよながひろし)さんの写真展
「Frost」に行きました。 清永さん(左)は今年の春のスカンジナビア取材の際に 知り合ったカメラマンで、今回は故郷福岡での写真展開催です。 右の女性は写真展会場となった「albus写真ラボ」の若きオーナー 酒井咲帆さん。 「albus写真ラボ」は福岡市中央区警固2-9-14にある 写真プリント&カフェで、このご時世にもかかわらず銀塩写真を中心にしたカメラやグッズをそろえて 地元の写真学生のたまり場になっています。 白い民家風の店にはおしゃれなデリ「トルネ」もあって 清永さんも「すごく美味しい」と言ってました。 2Fギャラリー「Frost」オープニングのトークショーも 盛況でした。写真展は9月3日(木曜)まで、無休、11〜20時。 居るだけで銀塩写真が撮りたくなる 「albus写真ラボ」は092-791-9335 |
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ゆる鉄写真展
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荻原二郎さんの写真集
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荻原二郎さん
初めて鉄道写真を撮ったのが昭和6年!
鉄道写真界の最長老、荻原二郎さん(94)の写真集 のコラムを担当させていただきました。 荻原さんは大正4年生まれで、あの赤レンガの東京駅と同い年 中学生のころから鉄道の写真を撮り続けて 「ぼくはゲテモノ好き」と、戦前からのローカル私鉄の一枚一枚がとんでもなく貴重なものばかりです。 “蒙古の戦車”と呼ばれた静岡鉄道駿遠線の 手作り?ガソリンカーの 写真を見た時は、鼻血が出そうになりました。 いまでも晴れた日には 線路傍に立つという荻原のおじいちゃん。 感度400のネガカラーフィルムでマニュアルフォーカスの一眼レフ そして「一列車にシャッター一回」 露出は「フイルムに天気を合わせる」と笑っていました。 『荻原二郎鉄道写真集』は東西二巻 3月末にJTBパブリッシングから刊行予定です。 |
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兄は鉄道・弟はカメラ
戦前から全国の鉄道風景を撮影され、
その膨大な写真コレクションが鉄道史学界で注目されている 荻原二郎さんのお宅に伺いました。 そこで、応接テーブルの下から出てきた古いオリンパス35. 「何台も列車にカメラを忘れてきた」と笑う荻原さんですが このカメラでもずいぶん撮影されたそうです。 今から見るとシンプルなカメラですが、記録された映像は桁はずれに価値のあるものばかり。 僕がJTBキャンブックスの「鉄道廃線跡を歩く」で担当し、資料の少なさで苦労した秋田中央交通の現役当時の鮮明なポジをみて、写真ってすごいな、と思った次第です。 荻原さんは東急電鉄に勤務しながら全国を旅して 「カメラはシャッターが切れればよし」とばかりに 機材にはぜんぜんこだわらない方ですが ご実弟の萩原彰さんは、 なんとあのミランダ・カメラの創立者だとか。 彰さんは航空技術者で、 戦後はカメラの開発に専念されたそうです。 「昔はこの家でカメラを組み立てて、家族は迷惑した」 と話されていました。 1960年代、個性的な一眼レフを発表して一部に熱狂的なファンがいたミランダカメラは この経堂のお宅から始まったと聞いて なんとなく、鉄道とカメラの相性の良さに、 勝手に納得してしまいました。 |
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すごいカメラを見ました
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流しの写真屋
ひさしぶりに、圧倒的な写真を見ました。
青山のワタリウム美術館で開催されている 『流しの写真屋』渡辺克己1965-2005写真展です。 渡辺克己は'70年代の先鋭的な写真雑誌『カメラ毎日』に 鮮烈な新宿のストリート・フォトを発表していた写真家で その正業は盛り場を徘徊する流しの写真屋でした。 彼は1枚200円で、 新宿の夜の住人たちを相手に写真屋をするという デンジャラスで刺激的な生活を続け、 当時の写真学生たちから一目もニ目もおかれた存在でした。 その中には時代を駆け抜けた男たちも多く登場し 特にタバコ屋の前で肩をすくめる寺山修司は、 まさに彼の代表的なポートレートとして世に残っています。 その渡辺克己自身も'06年に 「世の中に悪い人はいません。悲しい人がいるだけです」 という言葉を息子に残して他界。 残された膨大な写真で構成された写真展です。 それ以上に、 '70年代後半の懐かしくも切ない新宿の情景が垣間見えて ぼくが中野坂上の写真大に通った頃を思い出させてくれました。 写真展は4月20日まで(月曜休館)。 1000円で何度も入場可能なパスポート・チケット制です。 |