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阿字ヶ浦駅の秘技
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京都に遠征
思い立って、神奈川から西にクルマを飛ばしました。 これは関ヶ原駅(東海道本線)。昭和19年の木造駅舎に手を加えて使っていました。以前は切り妻屋根でドーマー窓(小窓)もない瀟洒な洋館建築で、駅舎は左右に増築されたようです。 その関ヶ原は、ご存知天下分け目の決戦地。東海道本線が走る谷には戦国武将の陣跡が点在しています。これは西軍の本陣、近くには石田光成の陣跡もありました。最近では戦国ゲームでファンになった歴男・歴女たちがこの決戦の地を歩いているようです。ちなみにこの翌日からはクリスマス寒波で40センチ以上も積雪があったとか。 関ヶ原の先の岐阜・滋賀の県境。小さな水流が東海と近畿を隔てていました。 さて、滋賀県内をすたこら走って大津宿の先の逢坂峠を超えました。その逢坂の関跡に近いうなぎの名店「かねよ」で名物「きんし丼」にありつきました。 日本庭園の離れでいただいた「きんし丼」、感動的な大きさのだし玉子が、うなぎの上に乗っています。 しかも離れの窓からは京阪電鉄京滋線の電車がよく見えます。店は大谷駅の真上にあって、うなぎと電車が楽しめます。ここは穴場です。 さて、これは左京区の哲学の道に近いB&B「鹿麓」の朝ごはん。ここの宿も穴場です。 昼は八坂神社の近くで「柚子ぞうすい」、でっかい柚子が土鍋で湯気を上げています。 それから祇園の「安井金比羅神社」へ、ここは京都最強の「縁切り」神社として有名で、願をかけた無数のお札で真っ白になった縁切り縁結び石が異様なオーラを放っています。この石をくぐると願いがかなうのだとか。境内には「誰かと誰かの縁を切ってくれ!」という実名入りの絵馬がわんさかと掲げられて、本当に読みごたえがありました。 おっと、この日はクリスマスイブ。一乗寺の書店「恵文社」にも、ささやかなイルミネーションが飾られていました。 さて、夜は烏丸丸太町のライブハウス「スローハンド」で「はつ菜」のライブ。往年の山崎ハコを思わせる繊細でパワフルなバラードには、ちょっと驚かされました。 ところで「はつ菜」のお父さんは、フォークシンガーの「くすきしんいち」さん。隣で娘を見ながらにやけていました。 |
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ちょっと近所で廃鉱探検
原稿書きで、ちょっと煮詰まったので、かねがね行きたかった廃鉱山を見に行きました。ここは神奈川県秦野市、ちょうど小田急線渋沢駅からバスに乗ってやってきた峠集落です。この地方では「窪」と呼ばれる谷あいに数十軒の民家が集まる、ちょっと別世界のようなところ。 峠の集落を流れる小川を下っていくと・・・ やがて道はやぶの中に呑みこまれていきます。それまでとは違ったひんやりとした空気が漂う茂みをかき分けていくと ちいさな峡谷に沿った山道になっていきます。たぶん夏の台風で、倒れた竹や樹木が行き手を阻んでかなり荒れた山林になっています。そしてこの丸木橋を渡ると・・・ 出ました!、不気味に口を開く坑道が(左手)。ここは昭和20年代まで採掘されていたという「渋沢鉱山」跡で、石膏を採掘していたそうです。記録によると最盛期には20人以上が働いていて、ここから70m以上も掘り進んでいたとか。 その先にも渓谷に沿って坑道がいくつも開いていました。この採掘現場から先ほどの峠集落まで、鉱石を運ぶためにトロッコも利用されていたそうです。もちろん、現状では坑口だけで跡形もありません。 坑道内をストロボ撮影したら、まだ坑木も残っていました。鉱山には無縁と思っていた神奈川県ですが、こんなところもあるのだと感動の渋沢鉱山でした。ちなみに秦野では小学校の校外学習などで、よくここに来ていたそうです。この坑口近くの粘土層からは、いろいろな鉱物も採集されるそうです。 |
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小田原城
久しぶりに小田原城に行きました。晩秋の城内は紅葉も一段落といったところ 巨木を周囲に従えた天守閣が、秋の陽に照らされていました。以前は象までいた城内の小田原動物園もすっかり縮小されて、逆にこじゃれたミュージアムや資料館が出来ていました。以前のB級観光地然とした雰囲気も結構好きだったのにと歩いていくと・・・ ややっ!、線路が勝手に、もう無くなっているもんだと思っていた「こども遊園地」の豆汽車のレールが健在。 今でも1回80円で乗れる豆汽車がちゃんと残っていました。 3両連結の客車も軽便鉄道の気分です。小田原周辺にはこのほか、子供の森公園の「なかよし号」や松田山ハーブガーデンの「ふるさと鉄道」など、遊覧鉄道が多いところです。 さて、城内にある小田原市立図書館でちょっとした調べ物。ここも大木に囲まれたクラシックな図書館で、そのたたずまいは特筆すべきもの。 閲覧室は3階にあり、どちらかといえば古めの書籍が目を引きます。 お堀に面した中庭があるのもこの図書館の特徴で、改修が進んだ小田原城内にあって昔のままの雰囲気を保っています。 |
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秦野震生湖
神奈川県西部に広がる大磯丘陵北部は、ちょうど秦野市に面して急坂で終わっています。その標高100mにも満たない大地の皺のような一帯にようやく紅葉が下ってきました。抜けるような秋晴れの日曜日に、震生湖を歩きました。 ここは大正12年の関東大震災で、金目川水系の市木沢の谷が崩落してせき止めらたことで『震生湖』という地質学的な名前が付けられています。関東大震災では震源が近かった丹沢山塊も強い地殻変動に見舞われて、山容が激変したといわれています。まさにそのなごりの湖ですが、今では森の中に清楚な姿を見せています。気持ちのいい雑木林を下っていくと、ちょっと秘密めいた水面が現れてきます。 湖畔を一周(約1km)できる小道を歩くと、錦秋の下で釣り人が水面を見つめていました。 湖畔にはささやかな弁天様が祭られていました。その社殿から見た紅葉も見事です。 弁天堂から先は、たたみかけるように紅葉が続きます。 小さな橋で対岸に渡ると、こんどは水面に紅葉が写しだされてきました。堰止湖らしく、複雑な入江もあって湖の風景も次々に変っていきます。 落ち葉でやわらかい湖畔の道は、最小限の整備にとどめられていました。 まるで、英国の湖水地帯を見るような秦野震生湖の秋。紅葉は12月10日ごろまで続きそうです。 |
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ひたちなか海浜鉄道の終着駅、阿字ヶ浦駅です。今も蒸気機関車時代の給水塔(右)があるいい感じの駅風景が残っています。
そこにやってきた小さな男の子。
巧みに三本ある柵のロープの間に体を入れ、片足を内側に着地・・
それから下段のロープに乗っかって中段に尻を乗せ、上段に捕まって列車に手を振り始めました。
やがて列車は勝田に向けて出発!、賢い子だ。
思い立って、神奈川から西にクルマを飛ばしました。 これは関ヶ原駅(東海道本線)。昭和19年の木造駅舎に手を加えて使っていました。以前は切り妻屋根でドーマー窓(小窓)もない瀟洒な洋館建築で、駅舎は左右に増築されたようです。
その関ヶ原は、ご存知天下分け目の決戦地。東海道本線が走る谷には戦国武将の陣跡が点在しています。これは西軍の本陣、近くには石田光成の陣跡もありました。
関ヶ原の先の岐阜・滋賀の県境。小さな水流が東海と近畿を隔てていました。
さて、滋賀県内をすたこら走って大津宿の先の逢坂峠を超えました。
日本庭園の離れでいただいた「きんし丼」、感動的な大きさのだし玉子が、うなぎの上に乗っています。
しかも離れの窓からは京阪電鉄京滋線の電車がよく見えます。店は大谷駅の真上にあって、うなぎと電車が楽しめます。ここは穴場です。
さて、これは左京区の哲学の道に近いB&B「鹿麓」の朝ごはん。ここの宿も穴場です。
昼は八坂神社の近くで「柚子ぞうすい」、でっかい柚子が土鍋で湯気を上げています。
それから祇園の「安井金比羅神社」へ、ここは京都最強の「縁切り」神社として有名で、願をかけた無数のお札で真っ白になった縁切り縁結び石が異様なオーラを放っています。この石をくぐると願いがかなうのだとか。境内には「誰かと誰かの縁を切ってくれ!」という実名入りの絵馬がわんさかと掲げられて、本当に読みごたえがありました。
おっと、この日はクリスマスイブ。一乗寺の書店「恵文社」にも、ささやかなイルミネーションが飾られていました。
さて、夜は烏丸丸太町のライブハウス「スローハンド」で「はつ菜」のライブ。
ところで「はつ菜」のお父さんは、フォークシンガーの「くすきしんいち」さん。隣で娘を見ながらにやけていました。
原稿書きで、ちょっと煮詰まったので、かねがね行きたかった廃鉱山を見に行きました。
やがて道はやぶの中に呑みこまれていきます。それまでとは違ったひんやりとした空気が漂う茂みをかき分けていくと
ちいさな峡谷に沿った山道になっていきます。たぶん夏の台風で、倒れた竹や樹木が行き手を阻んでかなり荒れた山林になっています。そしてこの丸木橋を渡ると・・・
出ました!、不気味に口を開く坑道が(左手)。ここは昭和20年代まで採掘されていたという「渋沢鉱山」跡で、石膏を採掘していたそうです。記録によると最盛期には20人以上が働いていて、ここから70m以上も掘り進んでいたとか。
その先にも渓谷に沿って坑道がいくつも開いていました。この採掘現場から先ほどの峠集落まで、鉱石を運ぶためにトロッコも利用されていたそうです。もちろん、現状では坑口だけで跡形もありません。
坑道内をストロボ撮影したら、まだ坑木も残っていました。鉱山には無縁と思っていた神奈川県ですが、こんなところもあるのだと感動の渋沢鉱山でした。ちなみに秦野では小学校の校外学習などで、よくここに来ていたそうです。この坑口近くの粘土層からは、いろいろな鉱物も採集されるそうです。
久しぶりに小田原城に行きました。晩秋の城内は紅葉も一段落といったところ
巨木を周囲に従えた天守閣が、秋の陽に照らされていました。以前は象までいた城内の小田原動物園もすっかり縮小されて、逆にこじゃれたミュージアムや資料館が出来ていました。以前のB級観光地然とした雰囲気も結構好きだったのにと歩いていくと・・・
ややっ!、線路が
今でも1回80円で乗れる豆汽車がちゃんと残っていました。
3両連結の客車も軽便鉄道の気分です。小田原周辺にはこのほか、子供の森公園の「なかよし号」や松田山ハーブガーデンの「ふるさと鉄道」など、遊覧鉄道が多いところです。
さて、城内にある小田原市立図書館でちょっとした調べ物。ここも大木に囲まれたクラシックな図書館で、そのたたずまいは特筆すべきもの。
閲覧室は3階にあり、どちらかといえば古めの書籍が目を引きます。
お堀に面した中庭があるのもこの図書館の特徴で、改修が進んだ小田原城内にあって昔のままの雰囲気を保っています。
神奈川県西部に広がる大磯丘陵北部は、ちょうど秦野市に面して急坂で終わっています。その標高100mにも満たない大地の皺のような一帯にようやく紅葉が下ってきました。抜けるような秋晴れの日曜日に、震生湖を歩きました。
ここは大正12年の関東大震災で、金目川水系の市木沢の谷が崩落してせき止めらたことで『震生湖』という地質学的な名前が付けられています。関東大震災では震源が近かった丹沢山塊も強い地殻変動に見舞われて、山容が激変したといわれています。まさにそのなごりの湖ですが、今では森の中に清楚な姿を見せています。気持ちのいい雑木林を下っていくと、ちょっと秘密めいた水面が現れてきます。
湖畔を一周(約1km)できる小道を歩くと、錦秋の下で釣り人が水面を見つめていました。
湖畔にはささやかな弁天様が祭られていました。その社殿から見た紅葉も見事です。
弁天堂から先は、たたみかけるように紅葉が続きます。
小さな橋で対岸に渡ると、こんどは水面に紅葉が写しだされてきました。堰止湖らしく、複雑な入江もあって湖の風景も次々に変っていきます。
落ち葉でやわらかい湖畔の道は、最小限の整備にとどめられていました。
まるで、英国の湖水地帯を見るような秦野震生湖の秋。![人気列車で行こう 2011年 10/13号 [分冊百科]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/61mIL39BROL._SL160_.jpg)




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